逆立ちしてる僕にとってそれは空を見上げるのに等しく           


サイトを立ち上げた時から、色んなアーティストやムーブメントの特集ページを作りたいと思っていました。 そしてこれがその第一弾、シューゲイザー特集です。
長文となりますので要点を並べておきますと、「シューゲイザーの音の世界」「シューゲイザーが起こった背景」「シューゲイザーはムーブメントになるべきじゃなかったという主張」「グランジと似てるような似てないような」 てな感じで。
書いてる途中で疲れたので、まとまりに欠ける文章になりました。また書き直すかもしれません。


SHOEGATHER
そもそもシューゲイザーの言葉の意味とは? 「靴先に頭を垂れる」 や 「靴を見つめる者」といったのが代表的ですが、その由来はライブの時に動くこともせず、立ちつくしてただ足元のエフェクターを見て演奏する、自分の世界に入り込む様な姿を皮肉ってSHOE GAZER靴を見つめる者 と呼ばれたことからだそうです。

シューゲイザーを端的に言ってしまえば、「ギターノイズ+美メロ」。この何てことないような言葉で表すことが出来ます。では、それが何故そんなものが一大ムーブメントとなったのか?そんなこと僕が知るはずありません。 ただ、その当時のギターロックは悲惨な状況だったことと、メディアが誇張して報じたことが言えると思います。音楽が素晴らしかったからだよ、と言ってしまえばいいのでしょうが・・。まあ、これは後で語ります。


次に、この「ギターノイズ+美メロ」といったのが形成された流れを考えてみますと、当時の(80年代ね)イギリスの音楽シーンは、ジョイ・ディヴィジョンスミスといった内向的で陰鬱な音でした。一人一人が世界観を持てる、入り込むこの音は確かに素晴らしいのですが、音楽シーンは閉塞していました。 それを打ち破ったのはHappy MondaysStone Rosesの「マッドチェスター」と言われたムーブメント。簡単に言えばロックとダンスの融合体で、それが生み出すグルーヴは狂熱的なものがありました。前までの陰鬱とは一転し、91年の衰退までイギリスをつつんだお祭り騒ぎのようなムーブメントでありました。 

・・だから?シューゲイザーは? 慌てんなって。大事なのはシューゲイザー・ムーブメントの起こったころは、シーンの過渡期で、活気づいていたということ。古いものから新しいものへと移り変わるときが最も輝いていて、人を興奮させるのだ。 マッドチェスター以外にもThe Jesus & Mary Chainや、My Bloody Valentineといった今までになかった音を生み出そうとするバンドが出てくるようになり、シーンは刺激的で、活気に溢れ、実に魅力的だったのだ。

口調をですますに戻して、そんな中アラン・マッギー率いるCreation Recordsから登場したのが、シューゲイザーの代名詞的存在、RIDEです。轟音ギターノイズに甘いメロディといったスタイルで、シューゲイザーをここに確立しました。 轟音ギターノイズに埋もれた切なく感情的なメロディ、今にも崩壊しそうな世界観の中にある感動は、あまりに弱々しいガラス細工を見たときに似ていて、広大な滝を目の前にしたときにも似ているのです。凶暴的なまでのギターのイズというのに、どこか力なく感じさせる透明感のある楽曲はとても美しいです。 こうやって並べた言葉が1番似合うのは、My Bloody Valentineの「Loveless」ではありますが、シューゲイザーとはRIDEのことなのです。

シューゲイザーの象徴、RIDEの「Nowhere」が出た90年は、幕開けの年。そしてその翌年、91年が多くのフォロワーを生んだシューゲイザー全盛期です。 この91年のイギリスは、Primal Screamの「Screamadelica」によってマッドチェスターが終結し、My Bloody Valentineの「Loveless」によってシューゲイザー・ムーブメントが完成した年となりました。

「Loveless」
これは素晴らしいの一言に尽きます。ノイズが溢れかえった世界の中で燦々と光るメロディ。空間に引き込まれるようです。これほどの完成度を持ち、これほど大きな影響力と生命力のあるアルバムはそうあるものではありません。
このアルバムにはおもしろい逸話があります。それは後の特集ページにて。

そしてムーブメントの終演へ。
完成品が出来てしまったら、それはムーブメントではなくなるのだ。今までの盛り上がりが嘘のようにシューゲイザー・ムーブメントは衰退し、シューゲイザーが登場して2年と経たずに終わりを迎えることになります。 わずか2年。それは「Loveless」のせいであると言えます。

そもそもムーブメントとは?辞書には主張を持った集団の行動のことと載っています。そう。何かが起こって、それに対して何かを思った人が、それの方向性、秘めたる可能性を探し、それを昇華させようと奮闘するのがムーブメント。人が奮闘する。だからこそそれは活気に溢れ、刺激的で魅力的なのです。

登場してわずか2年、どのバンドもシューゲイザーの完成形を追い求めていたとうのに、それはあっさりと、My Bloody Valentineの手によって表現されます。 あっさり。制作に3年かけて、それ以降にアルバムを出していない、出せなくなったほど生命力が乗り移った作品に対して「あっさり」はないですが、ムーブメントはそこで一瞬にして終わってしまいました。

ここまでが通説と言いますか、基本的なシューゲイザーの流れです。が、僕の思うシューゲイザーは少し違うというのを話したいと思います。

白昼夢のようにして、一瞬で終わってしまったシューゲイザー。
いや、これはむしろムーブメントですら無かったのです。

マイブラがシューゲイザーの前景として「Isn't anyting」を出したのは1988年。それから3年かけて次なる作品が出されたというのは、制作費を除いて考えればそれほど珍しいことではありません。シューゲイザーと呼ばれている轟音ノイズと美メロの作品は、マイブラという一つのバンドのスタイルなだけであって、それはムーブメントなどと祭り上げられるべきではなかったんだと思います。
「Loveless」の登場が5年遅かったら、シューゲイザーはもっと栄えたかもしれない?その通りだと思うけど、彼らはムーブメントとかそういったものを考えずに製作したわけで、言わば「Loveless」はシューゲイザーの完成形ではなくて、My Bloody Valentineの完成形なんです。 
分かりにくいかな。何となく掴んでほしいんだけど、問題なのは、88年と91年の間に、RIDEが登場してしまったことと、メディアが誇張して報じたことです。確かにRIDEの作品は素晴らしかったのです。それで多くのフォロワーが生まれたのですが、それをメディアが膨張させてしまったのです。ただ影響を受けてるだけかもしれないのに、メディアはこぞってシューゲイザーと一括りにしてしまいました。
方向性と可能性を探しそれを昇華させる。これはマイブラがずっと(RIDEが登場する前から)スタジオに籠もってやっていたことで、言わば世間で「シューゲイザーの可能性はどこだ」と騒いでいたのとは別の所で、シューゲイザーと呼ばれるものの完成形は動いていたわけです。
マイブラが時代の先を行き過ぎていた? メディアが勘違いから勝手に時代を作ってしまっただけで、マイブラは至って正常な位置にいたのだ。最先端であることにかわりはないけど、シューゲイザーなんて言葉が生まれるべきではなかった。その言葉でRIDEがくくられるべきではなかった。

結局うまくまとめることが出来なかったので、はっきりしてることだけ言っておこう。My Bloody Valentineってすげぇなぁ。・・いや、そうじゃなくて。「俺らはシューゲイザーだぜ」なんて言ってるバンドはいなかったわけだ。全てはメディアが勝手に祭り上げただけで、メディアがシューゲイザーのでなく、彼らの可能性を殺したのだ。


シューゲイザーはギタールネッサンスなんだよ。という意見がある。 轟音ギターノイズってのはSonic Youthと似ている点があると思いませんか? 同じ時期にアメリカで起きたオルタナティブの台頭、歪んだギターでカート・コバーンが雄叫びを上げたグランジとどこか似ていると思える点があります。 その時代に革新的だったことと、ノイズが多く入り込められていたこと、ですかね。 ただ、グランジにはSonic Youthから引き継いだ破壊力があり、シューゲイザーにはそれがありません。また、シューゲイザーにはSonic Youthのノイズの持つ空虚や焦燥感を感じることが出来ます。アメリカとイギリスで、ほとんど同じ時期に、同じような所から派生したというのがおもしろいですね。グランジとシューゲイザーともに、あっという間に終わりを迎えた所まで似ています。


僕がシューゲイザーを好きなのは、轟音ギターの中に輝く美しいメロディを見ていたいから。その二つがかみ合って生まれる今にも崩れそうな世界観に、たまらない透明感と空虚と素晴らしさを感じることができるから。
生み出されるノイズは、氾濫状態にある情報や、世間に溢れかえる嘘、何も答えが見つからないようなこの混沌とした世界を表しているよう。
そしてその中に綺麗なメロディが埋もれているのは、物も言葉も人も溢れかえる混沌とした世界の中で輝くものを探しているようなそのスタイルは、美しいじゃないか。
足元を見つめ、機械をいじりギターをかき鳴らす。ノイズを増やし足元を見て、より自分の世界へと入るほどに世界は広がり、輝いているものへと、あと少しで手が届きそうになるのだ。 俺は光り輝くね、まるで太陽みたいなものを追いかけているんだ。 全ては錯覚のようで、実際に手にできそうで。シューゲイザー、とても美しいじゃないか。
My Bloody Valentineの「Loveless」を聞くと、自分の探している物を見つけたような不思議な気分を味わうことができるのだ。 そして、聞き終わった後、それはただの錯覚だったと知る。 そしたら、その探しているものを見つけたいと今一度思うことが出来て、理由もなくいい気分になれる。